大谷翔平の軌跡 ①
初めまして
当記事はファイターズファンの筆者が今からプロ野球を好きになる方へ簡潔に選手の紹介を致します
まず初めは日本の宝球界に歴史を残し続ける大谷翔平選手の紹介です
なんと言ってもプロ野球が詳しくない人でも知っているのではないでしょうか
基本紹介
生年月日 1994年7月5日
身長 193cm
体重 95.3kg
ポジション 投手兼外野手
小学・中学時代
社会人野球の選手だった父とバドミントン選手の母を持つ、三人兄弟の末っ子として生まれます
そして水沢リトルリーグにて野球を小学3年生の頃から始め、すでに110kmを小学5年生にして投げています
中学時代にも水沢南中学校時代はリトルシニアに所属し、ここでも全国大会にも出場しています
花巻東高校時代
当時6球団から1位指名を受け埼玉西武ライオンズへ入団した菊池雄星に憧れ、花巻東高校へ進学を決める
1年春時は体の成長を重視し野手にし、1年生ながら春には4番・右翼手で公式戦に出場
1年秋からはエースとして最速147kmを投げ2年時には最速151kmを投げ甲子園に導きます。
3年生時春は選抜高等学校野球大会ではこの年春夏連覇する、藤浪晋太郎(現阪神)森友哉(現西武)擁する大阪桐蔭高校と初戦にあたるが9失点と大敗
しかしこの試合大谷翔平は藤浪晋太郎から特大のホームランを打っています
因みにこの2人は世代を代表する選手へ成長します
そして三年夏は準決勝にて160kmを投げアマチュア野球史上初を記録します
ちなみにこの記録はプロ野球でも160kmを投げる選手は歴代でも数人程度でした
活躍の場はプロ野球かメジャーリーグどちらへ
当時将来性の伸び代がある大谷翔平と春夏連覇した完成形とされた藤浪晋太郎にてドラフトが割れることが予想されていた
しかし大谷選手は夢であるメジャー挑戦を表明しました
世間は当時通用しないと言った意見など否定的な意見が多かったですね
アメリカへ行くことが規定路線の中、ここで手をあげたのが我が日本ハムファイターズ
指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会もしませんでした
しかしその後、『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方がメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明されました
更に前年までダルビッシュ有が着用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プラン等を提示され、12月9日に日本ハム入団を表明しました
12月25日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)で仮契約を結んで入団会見した。背番号は上記の通り前年までダルビッシュが着用していた「11」に決まりました
評論家からは二刀流に対して否定的な言葉が多数あり世間は大谷論争となります
この当時野手に専念すれば松井秀喜級
投手だとダルビッシュ級といわれておりどちらもプロ野球界の最高峰の選手と比べられました
投打で一流の才能を認める中、前例のない二刀流はどっちつかずになると解説者や世論からの意見が多数ありました
大谷翔平選手はプレーにて二刀流論争を黙らせていきます
それでは続きは次の記事にて。